2022年01月09日


温故知新に戻る

温故知新』 奇岩・巨石を見に行くことは少ないが、知らずに出合った時は感動ものである。
奇岩・巨石・洞窟
 山登りは目指す山頂に到達するのが主な目的であるが、登り、下りで感動的な景色、滝、奇岩、巨石、洞窟に出会うことがある。 滝と鍾乳洞は別途ページを作ってまとめ
ているので、ここに奇岩、巨石、洞窟をまとめてみた。

奇岩、巨石、洞窟 その10
  ”獅子巌”を見たのは2021年7月末であり、既に温故知新から外れているが、
逆にここからが温故知新の始まりにもなって行くのだろう。
取合えず、これにて終了。
奇岩・巨石・洞窟
きがん・きょせき・どうくつ
〔その10〕
奄美大島の用安海岸にある ”ハート・ロック”。
奄美大島用安海岸にある ”ハート・ロック”。ドローンで撮影したいものだ。
国立公園の ”鳥取砂丘”。
奇岩も巨石も無く、広大な砂丘が広がるのみの ”鳥取砂丘”。
3度目であるが何度見ても大絶景である。
中央部を外せば観光客は殆ど居なくなる。
更に東端に進み、振り返り中央部を見る。 まさに砂漠の光景だ。
国の天然記念物  ”浦富海岸”の遊歩道を歩く。
網代旧漁港から遊歩道を歩き始めて最初に見ることが出来る名勝 ”千貫松島”。
今日は天気良く、程々に波があり、素晴らしい ”千貫松島”を見ることが出来た。
更に遊歩道を廻り込み、違う角度から ”千貫松島”を見ると、
違う位置の海蝕穴を見ることが出来た。
この小さな岬の根元にも海食洞門が見られた。
”浦富海岸”の一郭である ”鴨ヶ磯”に移動する。
この海岸にて多くの海食洞門が見られた。
下は砂浜なので、夏には海水浴客で賑わうのかも知れない。
あちこちの岩峰に海蝕洞門が見られ、この海岸では
海食洞門が当たり前の景観となっていた。
唯一、海水の来ていないに海蝕洞門だったので、
歩いて通り抜けることが出来た。
国の天然記念物 荒磯遊歩道にて ”東尋坊”へ。
海岸沿いの ”荒磯遊歩道”にて、まずは ”東尋坊”を目指す。
右上の人が群がっている所が ”東尋坊”の主郭となる。
流石は有名観光地の ”東尋坊”であり、沢山の観光客が押し寄せていた。
今日は ”雄島”へも歩いて行く予定。
遊歩道から見た ”立て岩”(仮称)付近までは観光客は来なかった。
海岸に下りてから黄色矢印のルートで
”ライオン岩”ののテッペンに登り、景色を堪能する。
先端の立岩には ”ローソク岩”の名が付いていた。
”ライオン岩”から ”東尋坊”の海岸を堪能する。
同じく ”ライオン岩”から見た荒々しい海岸線。
”東尋坊”の観光を終えて、荒磯遊歩道にて ”雄島”まで歩く。
途中で大きな ”海食洞”を見ることが出来た。
”雄島”の ”柱状節理”は下部が落下しており、
北アルプスの ”逆相スラブ”を思い出す光景であった。
”雄島”の南側の ”柱状節理海岸”に行ってみるが、
とても ”柱状節理”には見えない岩で構成されていた。
海岸に出ると、普通の ”柱状節理”の岩が並んでいた。
日本三景の松島には行ったことがないので、越前の ”松島”で代替えとする。
どこからどこまでが ”越前松島”か判らないが、取合えずは海岸線の遊歩道に入る。
柱状節理が様々な方向に堆積した島々の間を遊歩道が巡っていた。
何故か左側の橋が通行止めとなっていた。 橋の崩壊だけならば
通るつもりでいたが、観光客の目があったので、今回は自重した。
遊歩道の終点が ”観音洞”であった。 自然に出来た洞窟であり、
弥生時代には横穴住居になっていたとか・・・
”観音洞”の最奥には ”観音菩薩”が祀られていた。
車で移動して ”越前松島”に行く。
世界遺産 南紀熊野の ”獅子巌”。
国道42号線沿いの案内板は過去何度も見ているが、実物を見るのは今回が初めてだ。
流石に世界遺産に指定されるだけはあり、感心出来る造形?であった。
駐車場から歩くことなく見ることが出来る。
国指定史跡 生石神社の ”石の宝殿 ”。
これが ”生石神社”の本殿。 ”石の宝殿”はこの中の境内にある。
今、2人が入って行ったので、後で参拝することにする。
岩盤に切られた階段道で ”石の宝殿”を上側から観察してみる。
上から見た ”石の宝殿”は周囲を1周出来る様であった。
本殿の反対側から見た ”石の宝殿”。
更に ”石の宝殿”を1周してみる。
拝観料100円を払って本殿の中に入る。
これが水に浮いた ”石の宝殿”のウソ臭い謎である。
石の下が何処まで彫られているのかは確認していないが、
只、単に石の下が削られているだけだ。
”石の宝殿”を1周する通路はこの巾しかないので、
混雑時には入らない方が無難である。
硬貨が勿体ないので投げ入れません!
”石の宝殿”には何の驚きも感激も無かったが、”石の宝殿”の裏山である ”宝殿山”の
展望の良さには驚いた。 正面に ”播磨アルプス”を一望出来たのは感激であった。